のこのこのプロフィール

簡易プロフィール

わざわざプロフィールを見てくださり、ありがとうございます。
「のこのこ」と申します。

このページを見てくださっている方は、「だれ、こいつ」と少なくとも私に興味をお持ちの方だと思います。少しでも私自身に親近感を抱いてくださいましたら幸いです。

「のこのこ」とは何者?
  • 26歳、文系第2新卒からSESに入社
  • 現役のフリーランスエンジニア、2019年9月からフリーランス
  • 主に案件はネットワークの設計・構築フェーズを担当
  • 将来の夢は日本庭園を造ること

詳細プロフィール

落ちこぼれの高校時代

高校2年生の冬まで、私は学年最下位の成績(偏差値はいつも30前半以下)を何度もとり、赤点を7つとっていたほどの落ちこぼれでした。

「ビリギャル」のようにもとから英語ができて、かつ、そもそも優秀な高校ではありませんでした。偏差値50超えたくらいの高校で、可もなく不可もなくみたいな高校でした。

この時、自分の人生に危機感を覚えました。

高校生のときに何一つやり遂げられていない自分が悔しかったことを強く覚えています。野球部についていけなくて退部し、勉強もわからなくて挫折し、友達もほとんどできなくて学校がつまらなくなり、ゲームばかりしていました。現実逃避ばかりしていました。

転機

そのときちょうど両親がけんかしていました。

父親がストレスで家のものを壊したり、荒らしたりするなど暴れる時期がありました。
その際、母親が荒れ果てた家を片付けながら、涙声で私にこういいました。

「ごめんね」

自分の無力さを感じました。自分は高校生にもなって親に何もできていない。むしろ迷惑しかかけていないと。

受験失敗

そこから人生を変えてやろうと奮起しました。

両親はともに高卒なのですが、大学にいくことを快く認めてくれました。偏差値30の落ちこぼれであるにも関わらずです。今では感謝しかないです。

高2の時点で自分が親のためになることは有名大学に合格して、顔向けできるようにすることだと考えました。

そして次の日から学年最下位から早稲田にいくと公言しました。周りからは嘲笑われました。無理だと。

正直、自分も目指していたときは厳しいと何度も感じました。でも毎日朝早く自習室にいって、とにかく勉強をしました。テストや模試で現実を突きつけられながらも、とにかく前に進み続けました。でも、現役のときにはどこの大学にも受かりませんでした。

1年浪人しました。そこで同じ目標を持つ仲間たちに初めて出会いました。同じ目標をもつ仲間たちと切磋琢磨して、ついに早稲田大学に合格できました。

「努力」、「継続」、「諦めない」、「同じ目標をもつ仲間の大切さ」を身をもって学びました。

1年目の就活失敗

就活も失敗しました。1年就職留年をしました。

自分は早稲田大学法学部を卒業したのですが、周りの同期は9割方は誰もが知っているような大手企業に入社するほど優秀な同期ばかりでした。

就活1年目も2年目も落ちまくりました。1年目は50社は余裕で落ちました。

そのときは自分は社会から必要とされていないという烙印を押されたような感じがしていました。

周りの同期に合うのも嫌だし、後輩に合うのも本当に嫌でした。

そこで現実逃避をするかのように、就活を途中でやめ大学を休学して、計6か月間、語学留学(フィリピン)と海外インターンシップ(マレーシア)にいきました。

インターンシップで無能さを自覚

語学留学で英語を学んだあと、それを生かして、働いてみたいと思いました。そこで、海外インターンシップに参加しました。

海外インターンシップといっても、日系スタートアップのWeb会社で経営陣は日本人、一緒に働く仲間が多国籍という環境でした。

その際に仕事を教えてくださったのがAさん(日本人の30代前半)でした。プライドが高く、常に高圧的な口調で、あとにもさきにもいないタイプの人でした(笑)

とにかく初日からとにかく怒られました。「わからないなら聞け」、「自分で考えてから話せ」、「進捗報告をしろ」など、社会人になってからは当たり前のことが本当にできていませんでした。(今も完ぺきではない)

また年下の女性のインターンシップ生が非常に優秀だったため、とにかく比較され、自分だけは罵倒される日々でした。仕事はこんなに楽しくないんだとその当時思っていました。

ただ、おかげさまでメンタルを鍛える機会にはなりました!(笑)

自分の仕事のできなさを痛感して、ほぼ何も得ることがないまま帰国しました。

2年目の就活も失敗

帰国後、2度目の就活を再開しましたが本当にうまくいきませんでした。

同期は社会人1年目としてバリバリ働いているのに、自分は内定の1つすら取れない落ちこぼれでした。本当になにもかもが楽しくなかったのを覚えています(笑)

大学を9月に卒業しました。それまで内定はなかったので、第2新卒として就職活動を再開しました。そこで、IT系の会社(SES)に初めて応募しました。縁があって、その会社に見事内定をいただくことができました。

こうして運よくも悪くも、IT業界に進むことになりました。

SESの闇を垣間見る

正直、自分がエンジニアにはなるけども、どんな仕事をするのかわからないままSESの会社に入社しました。SESとは簡単に言うと、エンジニアの人材派遣会社です。

Linuxが何のことかもわからなかったですし、ネットワークなんて存在も初めて知りました。本当に無知でした。

大手SIerに最初の現場として参入しました。現場の方は大変親切で会社が違うのに手取り足取り教えてくださいました。本当に感謝しかないです。

ただ、自社のSESの会社に不満がありました。
のちに同じく転職した上司の方の給料は、入社5年くらいたってもほとんど新人の自分と変わらないことを教えてもらいました。

また、偽装請負の状態が常態化しており、それを是正する姿勢が見られませんでした。
偽装請負とは(東京労働局のサイト)

自分は幸いなことに法学部を卒業していたおかげで、労働者としての権利で自らの身を守ることができました。

退職するときにも自社からは「有給は消化せず、お世話になったんだから最後まで現場に出勤しろ」と言われましたが、現場の方に事情を報告すると「いいよいいよ!休んじゃいなよ!」と言ってくださいました。

IT業界ではこのようなことは日常茶飯事だと思いますが、実際に労働者としての権利を強く主張できる人はほとんどいないと思います。

情弱はいいように利用される、そうならないように自分の身は自分で守らなければならないという思いが強くなりました。

フリーランスとして独立

退社3か月前くらいから転職活動をしていました。

たいしたことは身に着けていなかったのですが、大手外資系の会社に内定をいただきました。

しかし、転職先で自分の身を粉にして働くこととフリーランスとして独立することで迷っていました。

自分は就活活動がうまくいっていなかったので、有名な会社に入って活躍したいというコンプレックスが多少なりともありました。

ただ今までの生き方を振り返った時に、オーソドックスなルートを通ろうとしてうまくいったことがありませんでした。

そこで25歳と若く、挑戦できるうちにフリーランスエンジニアになるという選択を選べました。

フリーランスになって、いいこともわるいことも両方あります。

でも結局はフリーランスエンジニアになってよかったと思っています。

エンジニアとしての壁 ←今ここ

フリーランスエンジニアになって、大手Web系の現場に今は参入しています。

非常に優秀な方が多く、エンジニアとしての壁を感じました。自分の非力さを毎度実感する日々です。

自分はこの人たちには一生勝てないなと思いました。だからこそ、別の分野で戦わないといけないなと思いました。

そのため、今後はAWS、インフラ自動化、プログラミングをそれぞれ学んでいこうと考えてます。

とにかく勉強、勉強の日々です。自分はその半ば途中です。

でも、その過程がなんだかんだ楽しいです!

当ブログの想い

「あなただけに役立つコンテンツであればそれでいい」

たった一人でも自分のコンテンツをみて、参考になったり、ためになったりしたら本望です。

資格試験の内容を発信することが多いですが、資格試験には自分自身キャリアの形成に非常に役に立っています。

中には批判的な意見もよくありますが、資格試験を勉強している時点で少なくとも勉強していない人よりかは、私は素敵だと思います。

何より勉強しようとしている姿勢が最も大事だと思ってます。むしろそういう方にとって、背中を押してあげられるようなコンテンツを提供するブログにしていきます!

以上、長文にお付き合いいただきありがとうございました!!!